”ダイセル式”という言葉と簡単な意味は知っていたものの、十分には理解していませんでした。
そこで社内のデータ活用を進めるにあたり、モデルケースとして必ず知っておくべきだと思い「ダイセル式生産革新」を1から勉強してみました。
想像以上に奥が深く、プラントに携わる方々は必ず知っておかなければいけない内容だと確信し、可能な限り整理しました。
少しでも皆さんの意識改革に繋がればと思います!
ダイセル社員ではなく、あくまで公開されていた情報を参考に記載しております。
概要
まずは全体の概要を解説します。
ダイセルとは?
ダイセルは火薬やセルロース、高分子など幅広い商品を販売する化学メーカーです。
1919年に政府が主導になり8社の財閥系のセルロイド会社が合併してできた会社です。
ダイセル式生産革新が生まれたきっかけ
きっかけは1990年代に熟練技能者が大量退職することが分かっていたことです。
ポイントは”2007年問題”と呼ばれる、団塊世代の大量退職のピークよりも10年程度早かった点です。
退職するから技術を伝えておく、言うのは簡単ですが実際に行うのは容易ではありません。
OJTを中心とした経験ベースの学びに重きを置いてきた結果、オペレータの暗黙知としてノウハウが蓄積され、その伝承が難しくなっていました。
現代の製造業においても同様に、人材不足や働き方改革といった背景で技術伝承や教育に苦労するはずです。
革新のテーマ
導入はまず網干工場がモデルケースとして選ばれました。
真の目的は、現場の単なる改善ではなく「知識を出し合う風土・仕組み・人づくり」を目指すことです。
また事業部制の縦割り体制を超え、全体最適を目指して横の繋がりを強化することを重視しています。
面白いのは、人の作業負担を軸に進めていることから改善効果は負担減に繋がり、記録などのひと手間を「これをやれば楽になる」と思わせて積極的に取り組めるようにしていることです。
そして製品ライフサイクルが短くなった昨今、生産の革新を行うことは、製品や製法の革新と異なり盤石な生産基盤を作り利益維持に貢献します。
トヨタ生産方式とは違うのか?
製造業における代表手法と言えば、やはりトヨタ生産方式です。
トヨタ生産方式は組立製造(ディスクリート)を題材に作られており、ダイセル式生産革新とは異なる部分があります。
ただし「徹底的にムダを省く」という点は共通しています。
しかし以下のようなプロセス製造の特徴が挙げられます。
- 化学反応や物理操作が加わり、系中の組成が変化する
- 塔や槽、配管のようなブラックボックス化された設備が使われる
- 内容物は流量や温度、圧力などで間接的に管理される
- プロセスの状況を推定しての管理であるため、個人の技量で理解や判断が異なりやすい
- 形状は液体や気体、固体、その複合体など多種多様
- 完璧な全数検査が困難
上記のような特徴から、プロセス製造特有の見えない部分を見える化することに重点が置かれています。
一方、今日ではフィルムやシート、成形品のような固体の機能性化学品が非常に増えており、このような形態は「ディスクリート・ケミカル」と呼ぶような動きもあります。
プロセス産業と言えど、ダイセル式だけでなくトヨタ生産方式も理解し使い分けられなければならない時代です。
得られた効果
生産革新により得られた効果を、2021年の日本知財学会年次学術研究発表会にて発表されています。
活動前と比較して圧倒的な効果が出ています。
内容 | 効果 |
---|---|
作業負荷件数 | 90%減 |
一人当たりの監視範囲 | 3倍 |
アラーム数 | 90%減 |
スタートアップ期間 | 半減以下 |
品種切り替え時間 | 半減以下 |
品種切り替え負荷 | 90%減 |
制御装置数 | 80%減 |
ノウハウの標準化 | 数百万ケース/工場 |
ソフトの簡素化 | 40アイコン化/工場 |
注目したいのは、原価や人員数のような見かけの効果ではなく、人の負荷という面で効果が出ていることです。
人へのしわ寄せが来ないため、こうした効果は改革の継続に繋がるはずです。
革新プロセス
改革の対象は大きく分けて「人と仕組み」「製造プロセス」「情報システム」の3点です。
そしてダイセル式生産革新は「予備調査」「基盤整備・安定化」「標準化」「システム化」の4つのステップから成り立っています。
重要なのは最終段階のシステム化……ではなく、その過程で人の行動を変え盤石な基盤を作ることです。
以降で各ステップを詳細に解説します。
第0段階:予備調査
まずは業務分担や意思決定におけるムダ・ロスといった問題点を洗い出します。
特に化学プラントは後から追加した設備が他業界向けの製品ということも多く、部門によって常識・非常識の異なることがよくあります。
ここでは全社統一された共通の指標で評価しなければなりません。
その指標は安全・品質・生産量・コストなど結果側の視点で設定します。
オペレータ負荷解析
オペレータ負荷解析では、定常作業を解析します。
例えばアラーム回数やタッチ回数、設備数、計器数などが挙げられます。
重要なのは「プロセスや設備の不具合を人がカバーしていないか?」という視点であり、これは裏を返せば人によるバラツキがプロセス・設備の不具合に繋がっていることになります。
プラントの運転は大きくバルブ操作や点検などの「フィールド業務」とDCSを監視する「オペレーション作業」の2種類に分けられます。
そのため解析にも異なる見方が必要です。
- フィールド業務:人の業務負荷という視点からムダやロスを顕在化する
- オペレーション業務:人の指示内容の他に、センサー情報からプロセスの状況を予測しムダやロスを顕在化する
ピーク作業負荷解析
ピーク作業解析では、非定常作業を解析します。
特に非定常作業は標準化されていないことがあり、プラントにおける事故原因で異常時の対応が周知徹底されていなかったという話はよく聞きます。
例えば運転の停止や再開、品種切り替えなどの作業が挙げられます。
業務総点検
業務総点検では、役割分担や報連相経路などにムダやロスがないかを徹底的に調査します。
対象は受注から納品までの一連の工程です。
業務工程、業務機能、意思決定レベルという3つの軸で見える化します。
ダイセルはこの作業の粒度が非常に細かいそうです。
- 業務工程:受注、生産、出荷など
- 業務機能:製造、技術開発、営業・販売、総務など
- 意思決定レベル:オペレータ、リーダー、課長など
コスト構造解析
コスト構造解析では、総原価や固定費の面から余計なコストが発生していないか解析します。
現代であればCO2排出量を指標に加えても良いと思います。
マスタープラン作成
既に潜在的なムダやロスが見えているはずです。
4種類の解析結果と目指すべき姿とのギャップからマスタープランを作成します。
ちなみにダイセル式生産革新を完遂するために最低3年かかると言われており、その時の社会情勢や経済状況に合わせてマスタープランも見直すことが大切です。
第1段階:基盤整備・安定化
ここでは改革を進めるためにムダやロスを徹底的に排除します。
指示報告系統の見直しや言語統一、3S活動が行われます。
まずは余裕を作る
生産革新を実施するにも各々に余裕がなければなりません。
経営層からDXやSDGsなどの仕事を上乗せされて「ただでさえ忙しいのに……」と思ったことは無いでしょうか?
まずはムダやロス、例えば”重複作業”や”無意味な作業”を徹底的に排除して負荷作業の低減を計ります。
つまり改善活動の前に余裕を作ります。
当然最初は余裕がない状況ではありますが、ダイセルでは設備・保守部門も含めた現場の各部門から改善の専任チームを選抜し、改善に努めたそうです。
指示や報告の見直し
特に無くせるのは、指示や報告をしたままで終わっているI字型と呼ばれる行動です。
意思決定も無いただ伝えるだけの連絡会議のようなものも含まれます。
基本的に指示や報告には往復の流れがあり、U字型や逆U字型と表現します。
- 作業指示:上司から部下へ指示、作業後は上司へ(U字型)
- トラブル発生報告:部下から上司へ報告、部下が対応へあたる(逆U字型)
- ただの連絡:上司から部下へ指示して終わり、部下から上司へ報告して終わり(I字型)
言語の統一
言語統一では、「P&IDなど図面の書き方」や「装置や物質の呼び方」を統一します。
これにより全員が同じ言語でコミュニケーションが取れるため、全員が知識を出し合う風土に繋がります。
この統一作業は、オペレーションエリアの集約やデータベース構築において重要な役割を発揮します。
図面を用いた原理原則での議論をする風土の醸成にも繋がります。
大事なのは全面改訂するのではなく統一することです。
3S活動
3S活動は整理・整頓・清掃の頭文字から名付けられた工場改善・安全のための活動です。
また3Sを維持するための清潔・躾を加えて5Sと呼ぶ場合もあります。
製造現場維持の基本です。
- 整理:必要なものと不必要なものを区別し片づける
- 整頓:置き場所を明確にして直ぐに出せるようにする
- 清掃:ゴミや汚れを取り除きながら機器や道具に異常が無いか点検する
3S活動を蔑ろにすると物を探すムダや不良品のムダが発生します。
(コーヒーブレイク)人が絡む難しさ
革新プロセスは長くなりますので、ここで少し気持ちの部分を記載します。
重要な主任・課長クラス
ダイセル式は経営陣と現場を繋ぐ製造課長クラスの振る舞いが重要とされており、活動推進は主任や課長といった中間管理職が行います。
改善の順序はガイドブックとして形式化されています。
その上で目標値を主任・課長クラスが自ら決定して推進します。
本当に主任・課長クラスが回せるのか?
個人的には、ここがネックになる会社さんが多いのではないかと思いました。
そもそも主任・課長クラスが仕事を抱え込んでおり回っていないケースもあるからです。
ちなみに、主任・課長クラスの人材育成を掲げてダイセル式を導入した企業もあるようです。
戦うことも多い
当然、抵抗勢力もいます。
ダイセルは経営層からも反対されて相当大変だった模様です。
ー社内の反応は、どのようなものだったのでしょうか。
ものすごい抵抗がありました。重役会議でも、散々に叩かれました。「今までの取り組みを否定するのは、先輩たちをバカにしている」とか、「書いてある中身は機密事項ばかりじゃないか。こんなものを皆に分かるようにしてはいかん」といった意見がありました。私は文字通り、死に物狂いで、反対意見と戦いました。私たちの目指す方向に賛同してくれる先輩も数多くおられ、最終的には、我々の意見が通ったわけです。
エンジニアリング協会 会員企業トップインタビュー(2021年8月)
これ……無理じゃね?
ここまで読んで頂いた方で少なくとも「無理じゃね?」と思った方もいらっしゃるのではないでしょうか?
実は私もです。
一人がダイセル式に影響を受けて改革するには気力と体力の両面で負担が大きすぎます。
この取り組みを主導した小川義美 現社長は、当時は網干工場の生産部酢酸セルロース課の部員だったそうです。
小川さんの考えに賛同した上司の助けもあり、時間外に自主的に集まって検討することからスタートしました。
少しずつ、腐らず、そして着実に……出来ることから始めて賛同者を集めながら大きくするのが良いと思います。
とはいえ最終的には全社的な取り組みに昇華させなければ効果としては得られない可能性は高いです。
ダイセル方式を導入して成功するためには、本格的な取組を実行しうる社内体制を整えることが重要である。準備なく導入を試みた場合には、本来の成果を得られないおそれが大きい。導入の効果を最大化するための条件としては、
生産革新研究会報告書について化学/プロセス産業における革新的生産システムの構築 〜新たな生産方式の胎動〜(経済産業省 2008年4月)
①経営陣トップの決断
②製造課長クラスのミドル層のリード力
③オペレータ・スタッフからなる製造現場従事者の強い意志
の3つがあげられよう。
第2段階:標準化
標準化では、人の介在理由を解析し、意思決定フローを整理・標準化します。
この標準化は、OJTに頼らない効率的な教育や第3段階「システム化」の仕様書にも繋がります。
ダイセルでは840万の意思決定フローが8種41動作に区分されました。
オペレーションノウハウの標準化
オペレーションにも定常操作・非定常操作・緊急時操作のように種類が分かれます。
ダイセルでは"総合オペラビリティスタディ"と呼ばれる取り組みによりノウハウを顕在化します。
これは運転操作の際、何を?どのように?考えていたかを細かくヒヤリングし、それを参考に「科学的な観点から正しい意思決定とは何なのか?」を明確にするものです。
その際には、安全・品質・生産量・コストの観点から監視・意思決定・操作の流れで網羅するようにします。
ちなみにこのヒヤリング、ダイセル内で認定された人が担当するようです。
1人のオペレータに朝から夕方まで週5回、3ヶ月ヒヤリングを行った事例もあるようで、この工程で時間がかかる事は問題ありません。
固有要素技術の標準化
製品の種類が数多くあっても、単位操作や使用機器は共通するものがあります。
- 単位操作:蒸留、抽出、混合、反応など
- 標準機器:蒸留塔、撹拌槽、ポンプ、熱交換器など
原理・原則から、各要素に対してどのように運転管理すべきか?設備管理すべきか?を体系的に整理します。
重要度分類
標準化したオペレーションノウハウや固有要素技術を活用できるよう、工程管理項目一覧として体系的にまとめます。
それぞれの要素に対して影響度を出し、その影響度に対して重要度分類して作成します。
第3段階:システム化
標準化した内容や運転に伴い得られたノウハウをシステム化し、必要な時に作業者へ提供する仕組みを構築します。
これは"知的生産システム"と呼ばれています。
プラント運転の情報は煩雑になりやすく、オペレータ負荷を抑えながらも標準化した作業手順から逸脱させない重要な役割を果たします。
シングルウィンドウオペレーション
"シングルウィンドウオペレーション"は、プラントの異常発生時にオペレータへ必要な情報を提供するためのシステムです。
そもそも目的の画面を表示できること自体がノウハウになってしまうとの思想から生まれています。
目的の情報が1つの運転操作画面上で提供されるため"シングルウィンドウ"と名付けられています。
状況に沿って選択していくと、以下のようなガイダンスが順に表示されていきます。
- 異常発生箇所
- 想定原因
- 優先的な対処方法
- 対処法選択に必要な基礎知識
これにより異常拡大や生産停止を避けるために迅速に意思決定できます。
基礎知識を明確に出せる仕組みがあり、ランクに応じた社内教育にも活用していると予想されます。
維持管理できるシステムを
製造におけるアラームや異常の発生条件は変化していきます。
また設備も新設や改修が進められます。
こうした変化があるたびに標準化した内容と差異は無いか見直すシステムにしなければなりません。
オペレータ自身が業務の一貫として修正できる仕組みにするのも1つの方法です。
ダイセル式生産革新の進化
1990年ごろから始まったダイセル式生産革新ですが、2020年頃よりAIを活用して一層の進化を遂げています。
自律型生産システム
ダイセルは既に20年以上も価値のあるデータを蓄積し続けています。
そのデータは、コンピュータの処理速度向上およびAIアルゴリズムの発展に伴い更なる価値を持つことになります。
そこで生み出されたのがAIを用いた自律型生産システムによる効率化です。
- 最適運転条件導出システム(PCM):安全・品質・生産量・コストをリアルタイム予測し、最適な運転条件を導出する
- 高度予知予測システム(APS):安全・品質・生産量・コストの悪化に繋がる予兆を検知し、原因を除去することで損失を未然防止する
既に2020年~2022年の間で8億円のコストダウンに貢献しているようです。
そして2025年までに40億円のコストダウンと大幅な作業負荷低減に繋がる見込みです。
ここで気を付けたいのは、昨今のAIブームに安易に乗っかるのではなく、まず行うのはムダやロスを排除して標準化・基盤づくりすることです。
技術開発
中期計画としての取り組みに以下が挙げられています。
- プロセス・インフォマティクス:実験・プラントデータに対するAIを用いた新材料・新生産プロセスの探索の効率化
- バーチャルラボ、ベンチ、パイロット:他社とのデータ連携による、シミュレーションを用いた検討の加速と高精度化
参考資料
・生産革新研究会報告書について化学/プロセス産業における革新的生産システムの構築 〜新たな生産方式の胎動〜(経済産業省 2008年4月)
・JMAマネジメントレビュー 特集「ダイセル式生産革新」(2010年10月号)
・スマート保安先行事例集~安全性と収益性の両立に向けて~(経済産業省 2017年4月)
・エンジニアリング協会 会員企業トップインタビュー(2021年8月)
・グローバル知財戦略フォーラム2023発表資料および講演要旨
・ダイセル式生産革新はこうして生まれた
書籍は当時の取り組みについてダイセル関係者4名へのインタビュー形式で記載されています。
この本から入るのではなく、本記事の内容を把握したうえで読む方がスムーズに理解できます。
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ダイセル式生産革新はこうして生まれた
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